お前はあらゆる頂上の深さである

今日はお前を私が読むだろう、そしてお前は私のなかで生きるだろう

顕現としての「日常」が決して壊れえぬということ(後)

(前篇からの続きです)

 

 

HN:「懐かしいゼウスへの手紙Ⅳ」

Title:お便りの角度355°

……、

 

あらゐ先生に対する、悪性腫瘍のように肥大した、私の切実な夢想の風船は、ある日あっけなく弾け飛んでしまいました。

 

それは18歳、第一志望の大学に落ちて、浪人する気力もないまま、
適当に受験した後期試験に偶然に受かった、関西の地方大学に流れ着き意気消沈していた、

しかし以前から告知されていた、あらゐ先生が出展する「コミティア100」が近づくにつれて心浮つかせたりしていた、

あの2012年の春の出来事でした。

 

……、

 

徒手空拳で東京に乗り込み、『クイックジャパン』で少しだけ写っていた御姿と同じ出で立ちをした、「神」の姿を照覧したときの心境は、本当に『まんが道』立志編そのものでした。

 

「こ、これが本物のあらゐけいいちだ!!」
「あのあらゐけいいちが、今、目の前にいる!!」

 

満賀道雄才野茂が初めて手塚先生に逢ったときのナレーションが、突として私の脳内で流れるやいなや、

私の身体は硬直して動けなくなり、半ば意識を失い、
次に目がさめたときには購入した同人誌とサイン本を片手に、隣接していた献血スペースで血を抜いてもらっていました。

 

(そのせいで会場から早々と退散してしまい、会場を訪れていたクモマドリマスター・石仮面氏の姿を拝み損ねたのが、ひとつ心残りだったりします。)


人の言葉と意識というものは本当に脆いもので、色々と言いたいことがあったはずの私は、しどろもどろになってしまい、

「とにかく『日常』が私の人生に与えた影響は計り知れない」
旨の言葉を早口でボソボソと、不審者の態度でもって伝えることしかできませんでした。


私の想いはそんなありきたりの言葉で表す事が出来ないというのに!

 

しかし、先に書いたような、あらゐ先生に向けての言葉をすべて口に出そうとすれば、ちょっと暑さで頭がやられた人のように思われてしまうでしょうから、
その想いを表現し切れずに、言葉を詰まらせていたあの醜態は、世間体を考えれば、ちょうどよかったのかもしれません。

 

……、

 

何度も思い返しているにもかかわらず、あまりにも夢心地だったので、その記憶に関してははっきりと思い浮かべることができなくて、

私があらゐ先生のもとを訪ねたのは「夢」だったのではないか? と、時おり錯覚することがあります。


そして、気が気でなくなった私は、ちょうど異世界からの冒険を終えて現実世界に帰ってきた旅人がそうするように、
「あの世界」が確かに存在したことを証明するグッズ、「戦利品」である購入物を手にとって、自身の正気に嘘偽りがないことを確かめる日々が、しばらくのあいだ続いたのでした。


あの時に知った、得がたい感覚。


人は幸福を極めると、その感情の重さに耐えきれないためか、腹部がキリキリと痛み始めるという発見が、そのときありました。

 

いくら美味い食事も過度に摂取してしまっては腹を下してしまいます。
思うに、それは感情にとっても同様なのであり、幸せを享受しすぎた私は、腸がねじ切れるような痛みを抱え、
帰りの夜行バスのなかで、夜もすがら呻き声を発していたのでした。

 

しかし、それ以上に私にとって衝撃的だったのは、
雲の上の存在に思えた「あらゐ先生」が、私と変わらぬ人間として、そこに存在していたこと、「それ自体」でした。

 

「私はあらゐ先生にはなれない」
「だからこそ、しっかりしなければならない」

 

そのとき不意に私の頭を訪れた、啓示に似たそのメッセージに対して、私は応えることができていません。

 

しかし、あの日の日本晴れの天気と相まってあまりにも眩しく感じられる、「神」もとい「大好きな漫画家」に実際に逢ったという感覚は、
長いあいだ私の身体のなかに尾を引いて残っていた、胸を掻きむしりたくなるような鼓動と動悸ばかりでなく、

私が善い方向に変わるための、確かなきっかけとして、今でも魂の内奥から私に働きかけてくるように思います。

 

……(次でラストです)

 

 


HN:「懐かしいゼウスへの手紙Ⅴ」

Title:お便りの角度385°

……、

 

私はノスタルジアを通して貴重なものごとを再発見する。
そしてその仕方によって、私はなにものも失なうことがないと、
なにものもかつて失なわれたことはないと感じるのだ。

なにものも失なわれない。
つまりは、遺恨(リゼントメント)の鋭い力を決して感じることがないということだ。

ミーチャ・エリアーデ『迷路の中の神裁』

 

……、

 

私が今の私の名前をハンドルネームとして用いるようになり、行先不明の手紙を送らせていただくようになったのは、コミティア100を訪れた年の秋に行われたラジオからのことです。

 

それ以後、もしかして迷惑をかけていないだろうか……と憂慮しながらも、今読んでいただいているこの手紙がそうであるように、怪文書じみた長文を多く投稿させていただいております。

(何か不都合があれば、こっそり教えていただけると幸いです)

 

……、

 

あれから更に年月は流れ、私は大学を卒業し、人文系の大学院に進学することになりました。
しかし私のあらゐけいいち漫画に対する熱い思いは、未だに冷めやらぬままでいます。

 

変わったことといえば、あの『日常』が、10巻発売を機に完結を迎えたことくらいでしょうか。


昨年の8月の終わり、『日常』の連載が終了するという情報を目にしたとき、ひとつの想いが私の頭に去来したことをよく覚えています。

しかし、このとき私の抱いた想念は、このとき先生の愛読者の多くが抱いていたであろう、好きな作品との別れをただ惜しむ気持ちとは、少し毛色の言なる性質を備えてもいたのでした。

 

「渡りに船」

 

当時はきちんと言語化できていなかったのですが、今になって振り返ってみると、動揺と混乱を取り繕おうとする表面上の平静さの裏で私は、
確かにこの一言を想い浮かべていたように思います。

 

「渡りに船」?いったい何に対して渡りに船なのか?

それはもちろん、『日常』の連載終了が、私にとって「渡りに船」に思われたのである。

 

どうして『日常』の連載終了が、私にとっての「渡りに船」だったのか?実は『日常』のことが嫌いだったのか?

嫌いだなんてとんでもない!
手前味噌ながら、これほどまでに痛切に、真摯に、『日常』ひいてはあらゐ先生の漫画について読み込んでいる人間は、そうは居ないと自負しているつもりである!

 

言葉でこの感情を言い表せるものなら何度でも唱えてやる、好きだ、好きだ、好きだ、大好きだ!

 

でも!好きだからこそ!


私はちょうど昨年ごろから、好きで好きでたまらない、だからこそ、それゆえに、『日常』と少し距離を置かなければならない、という気持ちをどこか心の片隅に抱いたまま暮らしていたのでした。

ですから、その矢先でこの報を聞き付けた私は、ちょうど『日常』から離れられる、「渡りに船」である!と考えたわけなのでした。

 

好きだからこそ距離を取らなければならない、別れなければならない、などと書くと、ひと昔前の陳腐なメロドラマのように聞こえ、理解されがたく思われるかもしれません。

しかし私はいつでも大真面目です。


私にとって『日常』は青春そのものでした。
しかし、人はいずれ青春から退いて、若者のふわふわとした夢想とは無縁の、着実たる生活を歩み始める必要があります。

だから私は、そう遠くない将来、『日常』と何らかの形で結着をつけなければならない、そのように考えるようになっていたのでした。
『日常』と決別すること、すなわちそれは私にとって、自分自身の青春に終止符を打つことにほかなりません。

 

私は大人にならなければならない。少なくとも大人への道を歩み始めなければならない。
そのためには『日常』と距離を置く必要がある!

 

青臭く、そして論理性を欠いていると思われるかもしれませんが、今でも私はこのように考えています。

 

……、

 

『日常』と距離を置く、とは単に作品を読まないでおく、ということを意味しているのではありません。
それだけで済ますことができるのならば、このような長文をわざわざ書こうと思い立つことはなかったでしょう。

 

そうではないからこそ、これだけ長いあいだ熱を籠めて読み続けてこられたわけですし、

感受性豊かな若い時代に育まれた、人生の習慣としての『日常』の読書を、今になって取りやめることは難しいように思われます。

 

そこで私は、むしろこれまでよりも深く『日常』に関わり、同時に深く肩入れしない態度を採ることによって、今一度だけ先生の作品に向き合うことを考えたのでした。

 

早い話が、私は『日常』やあらゐ先生についての評論を書くことによって、今よりも相対的に、あらゐ先生の作品を読解しようと考えています。


私は先の手紙のなかで、『日常』は私にとっての「啓典」であり、「呪い」であると喩えました。

だとすれば、これから私は「伝道師」として、「啓典」としての『日常』を説くための行脚に赴かなければならないでしょうし、

かつ「魔術師」として、「呪い」としての『日常』を解くための修業に出向かなければならないでしょう。

 

これは誰かのために行うのではなく、あくまで自分自身との決着のため、一つの時代に区切りをつけるために行われる、ごくごく個人的な決意です。

 

とはいえ、このような大役を、果たして私は全うすることができるのか?

甚だ疑問が残るところではありますが、とにかく思考錯誤を繰り返してみて、もし結果として形に遺すことができたのならば、憚りながら、世間に公表してみたいと考えています。

 

……、

 

「私は『日常』と出逢うために生まれてきた」

このような大それた言葉を、決して冗談で使っていないことは、ここまで読んでくださった方々には、理解していただけるかと思います。

 

『日常』の連載が終わった今、私の期待は目下のところあらゐ先生の新作にばかり注がれているのですが、

このまま受動的に待機しているばかりでは、主に自分のためによくないのでは、と考えています。

 

そんなとき、私の脳裏に思い浮かぶのは、やはり先生の作品の言葉でした。

 

誰も振り向いてくれなくてもいいんだ。
少しの心が満たされれば、私は棘の道を歩もう。」

 

あらゐ先生が書いた唯一の小説作品とも言える掌編、「ジョン・マック・ウェアー」の物語は、ジョンが言葉少なに、しかし雄弁に、

「やりたいことをやればいいじゃないか、たとえその道が過酷であろうとも」

と、作中の語り部である「私」、つまりはあらゐ先生本人を鼓舞するような文章で埋められています。

私は多くのあらゐ先生の作品とともに、ジョンの言葉を胸に刻んでいるのですが、その理由としては特に、「自分の心さえ満たされれば、他の誰の同意も要らない」と述べる、この確固たる決意に惹かれます。

 

今後の私が行うこと、行おうととしていること、ひいては私という存在の一切合切は、他の誰かを喜ばせるようなものでないのかもしれません。

 

しかし私は、彼と「ヒマラヤイルカ」作品から読み取った唯心論を信じて、己を満たすような生き方を、ささやかながら、実行していきたいと思っています。


……、

 

話がいささか飛躍してきたので、この辺りで筆を置くことにします。

 

願わくば、この一連の文章を書き終えたときに舞い降りた高揚感、そしてあらゐ先生の本を読み終えたときに訪れる清らかな感情が、

少しでも私のなかで持続し続け、私が今後おこなうであろう行動に、善いものをもたらしますように。

 

そう祈らずにはいられません。

ひとまずは、さらなる学をつけて、この場所に帰ってきたいと思います。

次回のラジオも期待しております。

 

長くなりましたが、ではでは。