お前はあらゆる頂上の深さである

今日はお前を私が読むだろう、そしてお前は私のなかで生きるだろう

「今度は僕が書き取られるであろう。僕はまさに移調されんとする印象なのだ」

5月に読んでとくに面白かった本についての感想やメモ
 
 
・『夜露死苦現代詩』:都築響一
 
・『ヒストリエ』9巻:岩明均
 
・『空と夢』ガストン=バシュラール
 
・『スクールアーキテクト』1巻:器械
 
 
 
 
 
 
 
 
①『夜露死苦現代詩』
 
認知症の老人の言葉やエロサイトの文面を一種のアウトサイダーな「自由詩」として紹介していて、考現学風の読み物として純粋に面白い。
 
そして本書は取り上げる文章がいちいち秀逸である。
 
論より証拠、まずは以下の「詩」に目を通してほしい。
 
 
 
!!!ハリケーン・ラブラブ・ファッキング・プッシーズ!!!
!混浴エロスでMVP級!!!
!密着エロスでGOD級!!!
!口撃エロスでBIG級!!!
!爆乳エロスでGET級!!!
!美乳エロスでVIP級!!!
!相互エロスでMAT級!!!
!舐舐エロスでLIP級!!!
!純肉エロスでFAT級!!!
!情熱エロスでHOT級!!!
!激写エロスでSOS級!!!
!!!FUCK!!FUCK!!FUCK!!FUCK!!!!
 
どうだろうか。
 
低俗なスパム広告と一蹴するのは簡単だ。
 
だがその前に一瞬、ほんの一瞬だけ踏みとどまって、この言葉を「感じて」みてほしい。できれば音読してみてほしい。
 
かくもグルーヴ感に満ち溢れた「現代詩」、「声に出して読みたい日本語」は、歴史を通してみても類を見ないという、厳然たる事実に思い当たるはずである。
 
私はこの「現代詩」を読んだとき、『ヴァリス』の「聖なるものは一番期待していないところに侵入する」というフレーズを連想してしまった。
 
「詩」が世間に際して力を失って久しい。もはや死に体であると囁かれても、誰も疑う者はない。
しかし、見方を変えれば、現代詩は思いもよらぬところ、たとえばアダルトサイトで芽吹きつつあるのだ。
 
私はこの初々しい芽を、一読者として、初々しい心でもって応援していきたいと思う。
 
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これは極端な「搦め手」の文章であるが、他にも「刑の執行される間際に綴った死刑囚の俳句」「苦吟して練り上げた暴走族やラッパーのフレーズ」など、ただ珍奇なだけでなく、本当に読者の心を鷲掴みにするような文章も多く収録されている。
 
本書に収録されているのは、どれも名声に裏打ちされない、無価値な言葉の羅列である。
 
しかし、名声の価値が下落した現代においては、彼らの文章こそが真に世相を反映した「詩」になり得る可能性を秘めているのだ。
 
 
無論、狂気じみた文章をただ面白おかしく取り挙げるだけなら、まとめサイトでも充分に役目を果たせるだろう。
 
ゆえに本書の真の価値は、従来の解釈学的なアプローチに満足することなく、文章に込められた文学的な「意味」を発見し、評価しようとした執筆態度にあるのだと言えよう。
 
 
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(余談)
最近、本書の続編が執筆され始めたようで、主に地下で活躍しているラッパーに取材を重ねるなど、著者は精力的に活動しているようである。
 
しかし個人的には、本書が刊行されてからの10年間でネット上に氾濫するようになった、「薬物をキメたように饒舌で狂気じみたコピペやツイート」に焦点を当てて特集してもらいたいと思う。
 
文章の匿名性という性質上、取材を通したその本懐の究明は難しいのかもしれない。
 
それでも、学のあるネットライターの「釣り文章」から本物のキ印めいた人々の「告白録」まで、雑多な人々が書き殴った各種の文書は、昨今の文化を語る上で外せないものだと思う。
 
たとえば、今でも私の心を捉えて離さないのは、例のルイズコピペである。 

 


ルイズ!ルイズ!ルイズ!ルイズぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!! あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!ルイズルイズルイズぅううぁわぁああああ!!! あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん んはぁっ!ルイズ・フランソワーズたんの桃色ブロンドの髪をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!! 間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!! 小説11巻のルイズたんかわいかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!! アニメ2期決まって良かったねルイズたん!あぁあああああ!かわいい!ルイズたん!かわいい!あっああぁああ! コミック2巻も発売されて嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!! ぐあああああああああああ!!!コミックなんて現実じゃない!!!!あ…小説もアニメもよく考えたら… ル イ ズ ち ゃ ん は 現実 じ ゃ な い?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!! そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!ハルケギニアぁああああ!! この!ちきしょー!やめてやる!!現実なんかやめ…て…え!?見…てる?表紙絵のルイズちゃんが僕を見てる? 表紙絵のルイズちゃんが僕を見てるぞ!ルイズちゃんが僕を見てるぞ!挿絵のルイズちゃんが僕を見てるぞ!! アニメのルイズちゃんが僕に話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ! いやっほぉおおおおおおお!!!僕にはルイズちゃんがいる!!やったよケティ!!ひとりでできるもん!!! あ、コミックのルイズちゃああああああああああああああん!!いやぁあああああああああああああああ!!!! あっあんああっああんあアン様ぁあ!!セ、セイバー!!シャナぁああああああ!!!ヴィルヘルミナぁあああ!! ううっうぅうう!!俺の想いよルイズへ届け!!ハルケギニアのルイズへ届け!



「気持ち悪い」と囁かれる、他の「美少女キャラクターに捧げる愛の唄」系統のコピペに比べても、これは傑出した出来だと言えるだろう。


この魅力はどこに由来するのだろうか?
 
詩を味わうようにして、この難題にいつか取り組んでみたいと思う。
 
 
(余談2)
ふたば発のテンプレート「KOUSHIROU」は、著作者の匿名性も相まって「狂える叙事詩」と化しているので、未読の方は是非。
 
 
 
 
 
②『ヒストリエ』9巻
 
漫画を名作たらしめる必要条件は、「願望充足」と「現前性」、相反する二つの要素を融合させる魔術的技量に懸かっているだと思う。
 
そして本書の魅力もまた、伝記/軍記としての秀逸さの以前に、ともすれば陳腐になりかねないヒロイズムを圧倒的な人物造型によって成立させている点にある。
 
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今巻の特筆すべき部分は、言うまでもなくカロンとの再会であろう。
 
自由を手にした二人が今度は擬似的な父子関係となり、また同時に敵対関係になる。しかし双方ともに心境は晴れやかだ。
 
現代のヒューマニズムでは窺い知れない、袂を分かつことによって却って堅く結ばれた両者の関係性が読者の胸を打つ。
 
 
「新刊の発売されるペースがおそろしく遅いので、普段は物語の仔細な展開はおろか存在そのものを忘れてしまっているが、それを補って余りあるほど面白いために、購入のたびに全巻を読み直す羽目になり、感動を新たにすることができる」名作漫画の筆頭であるが、今までがそうであったように、彼らの成長と変化を見届けることができるだけでも、待つ甲斐があったと言えよう。
 
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(余談)
 
かつて私が患った厨二病的症候のうち、『ねじまき鳥クロニクル』の影響で暗闇のなかに閉じ籠ったり『バガボンド』の胤舜を真似て友人と“命のやりとり”をしたりしたのは、第三者の目に晒されていない分まだ耐えられるのだが、エウネメスに憧れて賢ぶった時期があったのは間違いなく“黒歴史”であり思い出すと身悶えしてしまう...“ヒストリエ”だけに...。
 
 
 
 
 
③『空と夢』
 
「詩人は火・水・空・大地の“四大属性”に分けられる...本書では空にまつわる想像力を取り扱う...」という厨二エッセンス満載の序論に魅入る。
 
世界が意志の力によって矯正され続けるのだとすれば、ただ想像的なものだけが辛うじて人を永遠に救うことが出来るのだろうか。
 
中期以降の大江健三郎が人物の神話的原型を強く意識する作風になった原因の一翼を、本書が担っているのは想像に難くないが、「雨の木」の着想などが本書の孫引きであることを鑑みるに、与えた影響は本当に大きかったのかもしれない。
 
 
 
④『スクールアーキテクト』
 
倫理的に誤った選択=自己犠牲によって特定の個人を救おうととする、ゼロ年代決断主義の「美談」が新鮮味を失って久しい。
 
しかしこの流れが途絶えないということは、それだけの需要があるということなのだろう。
 
今回もまた、世界や人類を天秤にかけて(本書の場合その規模は友人若干名の意識のみという小規模なものであるが)、世界改変の能力を行使する。
 
世界改変の担い手が心情の交錯によって入れ替わる展開などは、『まどか☆マギカ叛逆編』そのままなのであるが、雑誌きらら系統の萌え4コマのフォーマット上で繰り広げられるせいか、新鮮味を帯びて感じられた。
 
単巻だけでも十分に完成度が高いが、続きが今一番気になる作品のひとつでもある。
 
 
 
 
⑤『アリスと蔵六』5巻
 
今井哲也漫画に共通するある種の「もっともらしさ」、漫画としてのリアリティは、もっぱら人物間のディスコミュニケーションに起因していると考える。
 
反りの合わない相手とは最後まで分かり合えず、仲良しグループの和は最後まで崩れない。
 
登場人物は寡黙というわけではない。しかし、率先して意思疎通を図ろうとする人物がいないのである。
 
たとえば「お節介」な人物。
凡百の漫画ならば、1人ぐらい「誰かの世話を焼く」キャラクターがいるのが普通だろう。他人に関わろうとする人物がいなければ、物語が立ち回らないからだ。しかし、今井先生の漫画はどこまでも人物関係が希薄である。
 
 
 
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登場人物の関係性が一切変化しない。
中身のない凡庸な物語ならいざ知らず、ドラマティックな展開を多く含んだ作品においてこれほどまでに「人と人とが分かり合えない」展開に誘導されるのは、はっきり言って「特異」である。
 
この傾向は『ハックス!』に顕著であるが、実際にはデビュー作である『トラベラー』から最新作『アリスと蔵六』まで一貫している大きな特徴である。
 
 
面白いのは、登場人物のディスコミュニケーションが、あくまで「同じ立場(同年代・同じ境遇・同じ能力者)」の「人間」に限られている点であろう。 /
 
立場の違う存在(子に対する親・人間でない知的存在など)とは対立を経て和解し、新たな関係性を創出しているのである。
 
普通の漫画ならば、同じ立場の存在(友人・仲間・運命共同体など)と協力して、立場の違う「相容れない存在」との対峙・葛藤・克服するという展開に持っていくのが定石だろう。
 
しかし、今井漫画はその「逆」を行く。他者とは容易に打ち解けられるが、自分に近しい存在とは馴染めない。
 
まるで他者よりも自分の方が異物に思われる「思春期の精神」を表しているようではないか。
 
誰もが一度が通る年齢の、漫画を通した追体験、それによって読者は共感してしまうのではないのだろうか。
 
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今巻では、「ワンダーランド」に迷い込んだ二人の少女が意思疎通し合う様子が描かれる。
 
人間ではない存在である少女・紗名と、異能者である羽鳥。自身の存在に悩んできた両者が、会話によって答えを見つけ、触れ合い、親友になっていく姿は心を揺り動かされる。
 
しかし意地悪な見方をすれば、二人が悩みを共有できたのは、「アリスの夢」という「人間ではない証拠」を互いが持ち合わせていたからではないのだろうか。
 
近しい関係の人間同士が友人になるのは難しいという、『ぼくらのよあけ』から続く、今井先生の冷ややかなメッセージは今も有効であるように思えてならない。
 
今井先生について考察したいことはまだまだあるので、時間が空いた時にでも行おうと思う。